ありがとう
ありがとうと当たり前の分かれ目はどこ?

こんにちは ありがとう倶楽部の秋山です。
最近はよく語られるようになってきたな と思うんですけど、ありがとうの反対は当たり前ですよね。
面白いなあと思うのは、誰しもが同じ現象を見てるんですけど、ありがたいなあと言ったり そんなの当たり前だなと言ったりしてるわけですよね。
つまり現象面は変わらないわけです。
人によって、ありがたい と感じたり、当たり前 と感じたりする 違いがあるわけですよね。
この違いは 一体どこから生まれるんでしょうか。
私は経験によるものなんだろうと思うんですね。
人間誰しも 生きていると痛い目に遭います。
その 痛い目にあった内容によって、ありがたいと感じるか当たり前と感じるかも 変わるのではないかな。
昔 こんなことがありました。
私が高校生の時に宮島を破壊した台風19号。広島の町はあっちもこっちも瓦を吹き飛ばされてボロボロでした。瓦が足りなくて長い間 屋根には ブルーシートがかかってましたね。
高校生だった私たちは友達の家に集まって ろうそくの明かりで麻雀をしました。
電気がないのでトイレも動きません。というわけでトイレはわざわざ 歩いて5分の駅まで行って貸していただくという状況でした。

いかに電気というものがありがたいものであるか、その時につくづくと思い知りましたね。
皆さんもこれに類するような体験を色々されたことがあるのではないかと思います。
痛い目も 後々考えてみると、ありがたい 体験だということができますね。