ありがとう

鬱になってよかったこと。

秋山興
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皆さんは鬱になったことはありますか?

私は氣の上下動が激しい方で、結構 ヘビーな鬱状態になったことも3度あります。

渦中にある時はさすがにしんどいんですけれど、抜けてみると 良かったなぁと思うことも多々あります。

特に印象的なのが1度目の時で、鬱になって引きこもっていたので、何もできない つまらないやつだと自分のことを痛めつけていたんですよね。

けれども 時間が経ってある日 庭で水をまいていた時に、あー 自分には水を撒くことができるじゃないかと、氣づいたんですよね。

そんなの当たり前のことだと思っていた水をまくという行為が、当たり前でないと氣づいた瞬間でした。

赤ん坊の時は水を撒く なんてことはできませんよね。赤ちゃんが水を撒いていたら びっくりしますよね。(笑)

体が大きくなって重たいものも運べるようになってそして 水をまくことができるようになります。大きくなっていくこと自体当たり前ではない。いろんな行動が取れること自体当たり前ではない。

そこから先はいろんなことに氣づくようになりました。文字が読める、電話がかけられる、人と話ができる、ご飯を作ることができる、 好きなところに歩いて行ける、いろんなことができるじゃないかと、それが自分一人でできるようになったわけではない、と次々氣づいていくと、本当にありがたいよな と思ったわけです。

皆さんはいろんなことができると思います。そうなれたことが果たして当たり前でしょうか、それともありがたいことでしょうか。どう思われますか?

秋山興

ありがとう倶楽部のメンバーとして、感謝の心を大切にしながら記事を書いています。