自分独自の社会を見る 窓口

自分独自の社会を見る窓口
いろんな人とお付き合いしててつくづく思うのが、まあみんないろんな体験、体感を経て今があるんだなあということですね。
その当然の帰結として、社会を見る独自の窓口をそれぞれにお持ちですよね。
と同時にそれ以外の窓口から社会を見ることはやっぱり難しい。
だから信頼できる人から他の窓口から社会を見たらこんな風に見えるよ ということを教えていただく必要があるし、謙虚に聞く必要があるなと感じるわけです。
うちの国には八百万の神様がいますが、そのどれもが完璧でないところが面白いところだなと思います。神といえども 完璧ではない 我が国。
まして 人間ならなおさらでしょうね。
それぞれの人間が 天才を活かしながら、活動をしていって、それぞれに 体験 体感を深めながら 自分たちも暮らしている社会を眺めている。そこにいろんな知見が生まれていく。
その知見を交換しながら、社会全体はどういう風にできてるんだ?という疑問に答えていく。
しかしながら 一生その全体像はわからない。
巨大すぎますし、我々の能力がその全体像を把握できるほど高くないから、と言えるんでしょうね。
その限られた範囲の理解をお互いに交換しながら、お互いに理想像 を語り合いながら、理想像に向かって、現実の理解を共有しながら、はしごをかけていく作業を繰り返しつつ、現実を変容させているわけですよね。
理想像をダウンロードして、行動を決めて 実践しているわけですよね。
さてさて、今の地球というフィールドを共有する 我々は、一体 それぞれにどんな理想像を描いてるんでしょうね。
現実の解釈が違うのはある 意味 当たり前なんだから、そこで角を付き合わせすぎるのはあまり賢くないんじゃないかな。
謙虚に情報交換をして、理想像の交換をして、つかず離れず共に歩んでいく、というのが大事な氣がしております。